沿革 History

杉並能楽堂は東京で二番目に古い能楽堂です。平成24年に杉並区指定登録文化財に指定されました。

 有形文化財(建造物)
 杉並能楽堂舞台 一棟
 平成25年2月13日指定
 所在 杉並区和田1-55-9

杉並能楽堂舞台は、狂言大蔵流山本東次郎家に伝存されてきた能舞台で、明治43年(1910)本郷弓町に見所付能舞台として建てられ、震災後、昭和4年(1929)に当地に移築再建されたものである。

江戸時代、能楽は「式楽」として幕府制度の中に位置づけられ、また能、狂言役者は各藩でも抱えられていたが、明治維新によって護持者を失い能楽界は大きな痛手を受けた。豊後国岡藩の江戸詰藩士であった山本家は、維新後、一時帰藩していたが、明治11年(1878)、初代山本東次郎が上京して、大蔵流を背負い、その芸を継承した。四世山本東次郎則壽氏は昭和47年(1972)に四世東次郎を襲名し、平成24年(2012)に国の重要無形文化財保持者(人間国宝)に追加認定された。

杉並能楽堂舞台は舞台(桁行一間、梁間一間、一重、入母屋造、鉄板葺)及び脇座(庇内、高欄付)、後座(桁行一間、梁間一間、片流、鉄板葺)、橋掛(桁行三間、梁間一間、一重、切妻造、鉄板葺)をはじめ、橋掛から接続する鏡の間、楽屋、後廊下からなる。その建築的特徴を列挙すると、
(1)舞台と見所を別棟としていること、
(2)舞台、脇座、後座の寸法が古式に則っていること、
(3)床下には足拍子の音響的効果を高めるとされる甕が八つ置かれていること
があげられ、また舞台鏡板に描かれた老松の構図など、江戸時代に「式楽」として行われた雰囲気を留めている。

杉並能楽堂舞台は、狂言大蔵流山本東次郎家の伝統を守る舞台として貴重である。都内に現存する能舞台としては、靖国神社の芝能楽堂に次いで古く、舞台と見所を別棟として建てられた江戸時代の「式楽」としての演能形式をとどめるものとして、演劇建築史上からも貴重な遺構である。

(「平成24年度 杉並区の指定登録文化財」杉並区教育委員会 より)